とてもボロで貧しさのある家でした。
しかし、ボロだけど
とてもリッチな家に住めたのかもしれません。

photo/H.Takao


住む家には「明暗」が欲しい。
97.5月新築の家を建てるため、大正時代に建てたボロ屋を取り壊した。祖母が亡くなった5年前このボロ屋に引越て来て驚いたのは、ネズミ、ダニがしつかり生息していたこと、電気コンセントがないことであった。
確かに時代に取り残された、貧しい家であったが取り壊す前に改めて写真を撮ってみると明暗のある家であることがわかる。素晴らしい。
個人の犠牲によって日常が成り立っていた生活から逃れるため日本人は、ここまでやってきたのだろうか?いま仮住まいしている一見明るく便利な部屋に住んでいるとやはり何か勘違いしてるのではないか?と思えてならない。
個人のためには、自分の時間が必要。家にも自分の部屋が必要という意識が一般的。しかし、孤独と連帯をどうとらえるか?が無くて、自己確立などできるわけが無い。そして、住環境は明暗のある環境だとありがたい。だから家から私に働きかけてくる明暗が、まず私は欲しい。私を包み込む暗部が欲しい。それ無くして個人の部屋を持っても甲斐が無い。


光の美しい窓だったことがわかる。外と内が意識できる。が、われ
われにとって、内とは個人でなく家、家族になりがちだ。


●ボロ屋所在地・東京都豊島区雑司が谷


取り壊した後は、また 鈴木喜一建築計画工房そして、佐藤棟梁に
お願いして建ち上げています。期待できるものとなるでしょう。




このページ制作にあたって1997.6.22

70年以上使った家でもう十分使ったと取り壊し、建て直しを進めているが、
なかなか「家」との関係を作っていくことが難しい。
今まで住んでいたボロ屋を見直すこと、そして、新しい家にどうかかわるか?
そんなことを、少しづつ考えていくきっかけのページ。自己確認のためのページ。
高尾 洋。


 ボロ屋から新築 97.7月へ  受信、伝達へ戻る

表紙へ戻る