ノマドって遊牧民だと思ったが・・・

「ノマド」と言う言葉をインターネットで見かけるようになった。
以前ノマドって何?とGoogleると、遊牧民と言う事だった。はてなキーワードの「ノマドワーキング」を見ると『「オフィスのない会社」「働く場所を自由に選択する会社員」といったワークスタイル。・・・』とある。
「ノマド」は、若い人対象で、わたしのようなジジイはお呼びで無い。と叱られるかもだが、この言葉、意味に興味を抱いた。それはジジイのくせして、わたしの業務はすでに10年前から、ほとんど場所に依存しない。インターネットに接続出来ればどこでも仕事は可能だ。
そして、1999年頃に設立した東京芸大の先端芸術表現科は、その当初は、場に依存しないノマドのような人材教育姿勢だったと記憶していた。

まぁ、ネット接続環境、サーバ環境が10年前に比べるとかなり充実したし、どこでも仕事となる業務は拡大し、今後より一般化するだろう。しかし、「ノマド」と言う概念をネット上で見て行くと、会社員に対して、組織に属さない人。という点も加味されるなど、その捉え方には広がりがあるようだ。縦社会の構造が機能不全をおこし、新たな構造を模索されている現代、これは必然と思える。
佐々木俊尚氏のtwitter(@sasakitoshinao)リンクから、はてラボAnonymousDiaryで『「ノマド最高!」も「ノマドは完璧じゃないと無理!」も的外れ。 』を読んだが、このAnonymous氏『ノマドの原則はただ一点。製品またはサービスが、市場に直接晒されるだけというだけの事。』と仰る。

グ〜ん、この内容は、かってビッグブルー(IBM)の中央制御型コンピュータに対して、個人から、個々をつなげるappleのPCが、戦いを挑んだ頃からの精神を継承すると思え、とても興味深い。数年前から就活と言う、就職活動をするにもかかわらず、就職口が無いと言われているが、ハッキリと言うと個人的には、「何考えてんの?」と思っていた。就職口が無いなら、自分で会社を設立すれば良いだろうよ。会社がイヤなら、個人商店、個人事業もあるだろうよ。
この記事でAnonymous氏は、『ノマドにしろ会社にしろ、「小さくはじめて大きく育てる」を忘れなければ、それこそなんだってアリだよ。』と言われているが、その通りと思う。コミュニティはいろいろとある筈だ。今後社会構造も並列型に変化する部分も多いと予測され、わたしも無い頭絞って、雑司が谷村(小規模コミュニティ)などで、周囲の人々と助け合って、やってみるしか無いだろう。

下の写真は、FreeBSDの縫いぐるみ。こ〜いった人形には全く興味がないが、このFreeBSD人形は、2000年前に事務所サーバでFreeBSDを使用していたため、事務所に訪ねて来た娘さんから頂いたもの。もうだいぶボロいですが、この人形に限っては、当然捨てません。
FreeBSDの概念は素晴らしいが、基からあるインターネット、パソコンの思想が、より現実のリアル世界に影響を与えだしたとも見える。

FreeBSDの縫いぐるみ、フィギュア。

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ノマドって遊牧民だと思ったが・・・ への2件のフィードバック

  1. GENZO のコメント:

    先生、こんばんは♪
    ご無沙汰しております。
    実は自分も最近の「ノマド」という言葉の使い方とその曖昧な定義について、違和感をもって考えておりました。「ノマド」という言葉の概念なのですが、現在の混乱した使われ方をみますと「遊牧民」というより「移牧民」が近いのかな?などと思ったりもしました。それより単に「非定住」という意味でのみ使われているケースが多い様ですが…。
    ここからは、メタファーとして記述させていただきます。このクニにおいては、過去に「サンカ」や「家船」といわれる非定住の人々がおりました。
    自分は毎年、長野県のMという地域を訪れているのですが、その地域の多くは「サンカ」であったと聞き及びます。一時期のリゾート開発ブーム以前に、そこには何も無く、険しい山々にただ一筋の街道があるのみでした。
    街道とはいっても高さ50~60cmの石積みがあるだけです。標高の高い故、パウダースノーなので厳寒の冬季には、吹雪くと視界さえ遮られ路を外れる事があるからだそうで、いわゆる「裏街道」として機能していたということです。
    入植した当時というのは、田畑を耕すということは無論無理な上、日々の食料にも困っていたとのことです。
    現在、非定住の「サンカ」と呼ばれていた人々を調べる事は、はなはだ困難な作業のようです。明治期から近代化の為に戸籍整備が行われたためともいわれております。
    個人的には三角寛氏の著作物などは、かなり大きな影響を与えてしまったと、幾分残念に思います。
    近現代史が抹殺した本当の「ノマド」なり彼らが歩いた街道に立った時、果たして今日の「ノマド的なるもの」或いはそれへの憧れや嫌悪などに、少なくとも自分は当惑いたします。
    自分には吹雪で先がよく見えない。

    長文になってしまいました。お許しください。
    明日は大雪らしいです。寒くなりそうです。お身体ご自愛ください。

  2. Takao のコメント:

    GENZOさま、コメントありがとうございます。
    「サンカ」については、わたしはほぼ知らないのですが、江戸時代士農工商が
    ありましたが、そこに属さない人、日本史に該当しなかった人なのでしょう。
    民俗学が柳田国男氏などから興りましたが、そこでやっと光が向けられたの
    かと思います。
    光のあたらなかった人々、あたらない人々と思えます。

    ネットで今言われている「ノマド」は、「否定住」から始まっていると思い
    ますが、インターネットを用いてどのようなスタンスで生きるのか?
    の個々の姿勢、考え方に移行しているでしょう。
    それは情報革命期、社会構造変革期という今の時代背景があるからで、
    創造期のスタンスのとり方の日本での思考例と思えます。

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